あれから一年。追悼 上杉宮司
- 2011.07.2 | お知らせ
あれから一年。
1年祭も過ぎ、追悼の祈りを込めてあらためてここに記す。
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『学校法人皇學館常任顧問、鎮西大社諏訪神社名誉宮司上杉千郷(うえすぎちさと)氏は、かねて病気療養中のところ6月30日(木)午前4時50分に享年87歳で逝去されました』
私にとって宮司さまとの出会いは、昭和57年の長崎、鎮西大社諏訪神社の宮司に赴任されたことから始まる。
帰郷後も、お電話やお便りを頂戴するたび、そのお声やご活躍ぶりに、当時と変わらぬバイタリティーを感じ、鋭気をいただいてきたことも事実であり、それももう叶わなくなってしまったのかと思うと・・・
そして、歳月はながれ、私が退職を決意した平成4年。
言葉に出して仰ることはなかったが、おそらく察しておられた。
当初翌年3月予定であったが、種々の事情から9月末に退職した。
「我々は神主だよ。誰よりも神さまのお近くにいるじゃないか、それさえ忘れなければ何があっても大丈夫だよ。」と・・・
迷いが氷解した。
気持ちが晴れ晴れとした。
まさに、言霊による「おはらい」であった。
「心に笏を持て」という言葉の意味を体験、実感した思いがした。
そして、退職までの数ヶ月間、折に触れてお話しする機会を得て、抱えきれない言葉を胸に熊本に赴任することができた。
その後も、宮司さまや諏訪神社からの出版物等のご恵贈を賜りながら迎えた平成20年。
すでに鎮西大社諏訪神社の名誉宮司を拝命され、他方、学校法人皇學館の理事長をお勤めになられており、お元気そうなお便りやお電話を頂戴していたその年の8月、大学の理事長もお引きになり、その記念にと「飛騨神主の笏紙」を上梓されご恵贈いただいた。
そこには生い立ちから退任までの生涯が克明に記されており、ありがたいことに神道国際友好会主催の海外宗教視察団の随行としてご一緒させていただいた「ヨーロッパ北欧の旅」の記念写真には不肖自分も写っている。
今年(平成22年)4月に届いた遺作となってしまった「神主学徒出陣 残懐録」に添えられたお手紙には、体調が思わしくなく、人生も残り僅かの言葉が記されており、気に病んでいた。
それが!
すべてが終焉した。幕は完全に降りてしまった。
あまりにも寂しすぎる平成22年6月30日(水)を迎えた。
この日、各地のお社では半年を締めくくる「夏越の大祓神事」がおこなわれ、すべてがリセットされ、今日7月1日(木)から、何もかもが新しい一日が始まった。
ふと、上杉宮司さまらしい幕の引き方だなぁ、と思えた。
宮司さま
どうか、安らかにお休みください
そして、ご面倒でしょうがこれからも私たちをお導きください。
訃報に接し、驚愕いたしております。
衷心より哀悼の意を捧げ、
御霊安らかに鎮まりませとお祈り申し上げます。
上杉宮司さま。
郷土とともに我が国をお守り下さい。
平成22年7月1日(木)
新開大神宮 宮司 太田黒義國
鎮西大社諏訪神社在任(昭和56年4月〜平成5年9月)
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この記事は、昨年7月1日のものに修正を加えたものです。
本年2月にサーバー上のデータすべてを消失するトラブルで、失っていたものですが、プリントした記事がありましたので、1年祭に当たり追悼の意を込め、あらためて投稿したものです。