『「戦後史証言アーカイブス」2014年度「知の巨人たち・戦後史への証言」第7回 三島由紀夫』感想
神風連と三島由紀夫
神風連。
歴史好きの旅行者や三島由紀夫ファンの訪れる新開大神宮。
時間があれば声をかけるし、授与所のインターホンで呼ばれる事もしばしば。
すると彼らからの質問は大まかに二つ。
一つは、シンプルに「神風連について」もう一つは「うけひ」ってどういうものだったんですか、、、と切り出される。
ここでは『神風連』にしぼって申し上げたい。
教科書的には幕末明治維新期に各地で勃発した不平士族の反乱と十ぱ一絡げに扱われているが、その辺の捉え方が一味違う三島ファン。質問に答えて行くと、担に不平士族の反乱では片ずかない何かを感じ取っていらっしゃるようだ。
ところが質問される側の私自身、過去の文献に学び、先達にもご教示いただいてきた事ながら、今ひとつ輪郭のはっきりしない深淵なテーマであって、新開大神 宮21代目を仰せつかっている身の上ながら、自信を持って「かくかくしかじか、、、」と答えきれない日々を長く過ごしてきた。
と言うのも、亡き父からもハッキリした答は聞いたことがないし伝授されてもいない。
ただ、辛うじて父が残してくれた言葉は『心』
曰く・・・「国家や郷土、家族など広い範囲を包含しているように思えるから、、、、」
当時、わかったようなそうでないような、、ピントはボケたまま輪郭すら見えてこない。
それもそのはず、神風連の基礎となっているところは父の言葉通りざっくりと『心』
思想信条とも言えるのであろうが、それよりもっと深いところに彼らの目指していたものはありそうだ、、、
五里霧中、暗中模索から抜けきれないテーマ。
その霧が晴れかかり、朧げながら輪郭を浮かび上がらせる切っ掛けとなったのが小林秀雄の「本居宣長」、ついで郷土史家荒木精之の「初霜の記」、そして三島由紀夫の「豊饒の海「奔馬」」。
特に小林秀雄との出会いは大きく、著作『本居宣長』で語られている語り部 稗田阿礼の話し言葉を、心に思い描きながら文字に起こした太安万侶の古事記。
宣長の時代には読む事すら困難であった文献。この難解極まりない古事記を自身のライフワークとして、『想い描く』をキーワードに凡そ35年の歳月をかけられて編まれた「古事記伝」そこに描かれている神代から幽玄そして人間社会へと移り変わる世界観。
彼はそれを翻訳とは言わず、敢えて自身の創作であるとされ、古事記への畏怖畏敬、稗田阿礼、太安万侶への謙虚さすら伺える。
この出会いにより、私の中にあった妄想に包まれた神話が溶解をはじめ、それまでとは違う古事記が鮮やかに、眩い光を放ちながら自分の中に溶け込み始めた。
ちょうどその頃、本来ならば我々下々が口にすることさえ憚れる「皇位継承」が時の政権の議題にあがり保守系、左派系入り乱れて論戦が繰り広げられ、玉石混淆甚だしき様相を呈していた。
その時真っ当な「保守」が主張した論理は実にシンプルであった。
「男系男子の皇位継承こそが皇室伝統であり、日本が歩んできた日本(の歴史)そのものである」
このとき盛んに『日本らしさ』という言葉も耳にした。
この話題、長くなるので詳細は割愛させてもらうが、この「日本らしさ」という言葉に内包されてる奥深きもの。具体的に「これ」と指し示すことは難しいが「今日海外の人々が口を揃えて日本を称える「クールジャパン」という総称にもあたると思える。
私自身が、小林秀雄・三島由紀夫両巨匠から得たきっかけから見えてきた朧気な「輪郭」
神風連が守りたかったもの = 日本らしさ
そうざっくりと確信した。
それからというもの、細かい分析的な事柄より三島由紀夫やアイバン・モリス(ハリウッド映画「ラストサムライ」)を引き合いに武士道や時代背景、地域性などを交え、日本らしさを守りたかった神風連を話すようになった。
さてこの度放映された『「戦後史証言アーカイブス」2014年度「知の巨人たち・戦後史への証言」第7回 三島由紀夫』(1月24日土曜31日土曜)はご覧になられただろうか?
純粋に三島由紀夫自身にスポットをあて、三島に関わりのあった人物からのインタビューと史跡が紹介され、かなりの完成度で放送されていた。
私は神風連を語る際、常々「三島先生は誰よりも神風連を一番良く理解されている、、のではなく『感じとられている』と思っている」と結ぶ。
この思いは「日本らしさ」の大切さを、時代こそ違えど明治9年の神風連の変、昭和45年の市ヶ谷における自刃にはにおいて死守しようとした私心なき両者共通の純粋すぎるほど純粋な憂国への発露である確信している。
日本から日本人から「日本らしさ」がなくなる、、、
著名なイギリスの歴史学者 アーノルド・J・トインビーは「歴史や伝統などをなくした民族は例外なく滅んでいる」と強調されている。
日本人にとっても歴史・伝統・文化こそ「日本らしさ」を象徴する命そのものである。
三島由起夫がこだわり続けた「日本の歴史、伝統、文化を守る」が強調された編集には、感動と云うよりそれ以上のものを感じ、身震いが止まらない25日日曜の未明をすごした。
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